「クールビズ」の歴史から 何かが一般大衆に浸透する理由を考えてみた 

今日から急激に暑くなってきたよね。休み明けの月曜日ってことで「ぐた~」ってなりますわ。今日は暑くなるってことなんで、肌着付きシャツってのを初めて試してみたんやけど、インナーシャツなしだったんで少しはマシだったかな。でも今さらながら考えてみれば、随分とマシになったもんやね。なんせ以前は

真夏でもスーツにネクタイ

やったわけですから。

クールビズの登場

ちょうど10年チョイ前に提唱されたクールビズ。でもその考え方っていうかコンセプトは随分以前からあったらしいです。ちょっと調べてみたんやけど、1979年の時の大平正芳総理が提唱したというのが先駆けらしいんやけど...しかし


上着が半袖とは(^_^;)。これは...あまりにもダサいでしょ。

当時はこれを「省エネルック」と言ったそうで、ネーミングセンス自体にも時代を感じますね。とはいえこのコンセプトって一部の人には脈々と受け継げられてて、頑張って着用していた人も。僕が覚えているところでは...


羽田孜元首相。これまたやはり残念な感じ全開(^_^;)。ちなみにこのスーツ、「ニューサマースーツ」と読んでいたそう。これまたネーミングまで残念な感じ。

ではなぜクールビズは浸透した?

じゃ~昨今は「クールビズ」は浸透したんでしょうかねぇ。

  • 名前が残念でない
  • 半袖スーツという固定的なものでなかった
と一般的には言われているようやけど、結局のところファッション業界が取り組みやすかったって事だと思う。先の元首相達が実践してた半袖上着では

省エネルックではどうにもオシャレにできない

からね。あと差別化もできないでしょ。あれをどんな優れたデザイナーがとりくんだとしても、「カッコいいなぁ~」ってするには難しいもんね。となれば、オシャレに作れないもんは着る人もいないのはわかりそうなもんです。で、浸透した「クールビズ」。これは基本コンセプトが

ノーネクタイ&ノースーツ

単にこれだけのぼんやりした定義がよかったんやろうね。こんなゆるい設定なんで

いかにオシャレなものが提案できるか...

って自由に考えれて、差別化もできるやろうし。そうなると作る側が真剣に頭をひねり、いいプロダクトが誕生し、消費者は購買し...そして浸透していったんだろうなって思うんですよ。

浸透するかどうかの決め手

これは結局「ビジネスになるかどうか」って事だと思うんよね。「バレンタインデー」「クリスマス」「ハローウィン」等々で言われる「XX商戦」って言われるアレやけど、何かを仕掛ける時それがXX商戦となりえるか...で、作る側にとって魅力(この場合は新しいものが提案できるか、差別化ができるかってことかな)があるかどうかなんやろうね。過去を振り返ってみても

『浸透』って、消費者がお金を払う魅力あるものを作れるかどうか

でしょ。先の省エネルックやないけど、素晴らしいコンセプトだけでは難しく

商売になるかどうか

が現実のようやね(^_^;)。

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